まい うぃる(akarui isho)

いろいろ書いておこうかな~?と…

切ない別れ

朝、メインターミナルのホーム。

ホーム端の自動扉(電車乗降の際に、電車の扉に合わせて開閉するやつ)の柵に、今にも柵を乗り越えそうな勢いで身を預けているサラリーマンがいました。「え?良からぬことを考えてたりするのか??」と、少し身を動かそうとしたその時、ちょうど電車が走り始めた瞬間、その方が、電車に向かって小さく手を振ったのです。その後すぐに、柵の切れ目、透明ガラスの自動扉のところに、手を振る「先」が現れます。小学生低学年の(と思われる)女の子が、1人で、チョコンと電車の座席に座っているではありませんか・・・。いろんな思いが込み上げてきて、胸がキューっと締め付けられました。

 

毎日の通勤電車で、小学生が1人で通学している姿を見ることは、そんなに珍しいことではありません。なんとなれば、賢しげな本を読みながら、目の前のお年寄りに見向きもせず、太々しく優先座席に鎮座している小学生の姿を見て、「賢い。のか??」とか腹立たしく思っていることすらあります。

 

個人的な感覚なのかもしれません。

目に見えている、無事であることが明確に確認できる子供たちは、私にとっては、どちらかと言うと「指導対象」なのかなぁ?と思います。特にホームや電車の中では、「危なくないか?」とか「他人に迷惑かけてないか?」とか、そんな目線で見ていることが多いです。ゆえに、いろいろ腹立たしくなるwww

逆に、今回の様に見えなくなる、安全確認ができなくなってしまう子供たちは、ただ単純に、いろいろ気になる「心配対象」になってしまいます。きっと大丈夫。何度となく繰り返されてきた日常で、その子も、若干腹立たしくさえある車内で見かける子供たちと同じはずなのです・・・解っちゃいるけども・・・。

お父さんと思われるそのサラリーマンも、きっと同じ思いなのだと思います。その姿が自分の感覚に重なってしまったのでしょうね。朝っぱらから、もの凄ーく切ない気分になってしまいました。

 

我が家の子供も、来年4月から社会人になります。勤務先によっては、家から巣立っていくことになるのです。それ自体はめでたいことだと解っていますし、逆に、いつまでも家に居られても、それはそれで困ります。

本当に、親の身勝手な逡巡だと思いますが、

「家から出ていく」となると

・ちゃんとご飯、食べるんだろうか?(外食ばっかりとか、朝食抜きとか)

・洗濯もちゃんとできるんだろうか?(同じ服着っぱなし?)

・変な人に付きまとわれたりしないだろうか?  みたいな心配するし、

 

「いつまでも家にいる」となると

・良い人は居ないのか?(親もいつまでもこの世にいないよ)

・友達はいるんだろうか?

・邪魔だなぁ・・・(本当に、本当に極極、稀に!) と思ったりします。

 

若いころ(ちょうど就職する前後)、私も両親に、同じような心配をされていて、あれやこれや言われる度に、うざいなぁ~とか感じて、「わかっとるわ!」みたいなそっけない応対をしていたなぁと。また、かつて、精神的に病んだころ、父には「他はどうでも良い。ちゃんと喰え!」と言われ、母には「あんたが元気やったらそれで良い。」と泣かれたことを思い出し、海より深~く、反省しております。

 

「親の心、子知らず」はよく聞く言葉ですが、この言葉の意味は、きっと親にならないと完全には理解できないなぁ・・・と、今、噛みしめるかのごとくに「実感」しております。

 

ご両親様。心よりお詫び申し上げるとともに、感謝申し上げます。

お子様方。兎に角、無事で、元気で、できれば笑っていておくれ。