まい うぃる(akarui isho)

いろいろ書いておこうかな~?と…

一所懸命に頑張れ!!

そう言えば、もう受験シーズンですね?

大学職員でありながら、はたと気づきました。緩んでるわ~…深~く反省。

 

受験生の皆さん。「頑張れ!」

この無責任な応援の言葉は、私、大ッ嫌いです。って前にも書きました。

ただ、受験勉強に関して言うと、本人以外の人間は、無責任に、でも、心の底から応援するしかない。

 

受験勉強と、それ以外の「違い」は、具体的に方法や方向を示すことができるか、できないか。受験勉強以外の案件は、闇雲に「頑張れ」という、無礼な応援の押し付けは不要で、「何を」「何時迄に」「どうやって」等を、本人と一緒に具体化していくことが重要だと思います。そうじゃないと、問題・課題は解決されません。例えば、仕事なんかは、「出すべき成果(何を)」は自明だし、確実に「期限(何時迄に)」は切られるし、余程の新規事業や、特殊案件でもない限り「手法(どうやって)」もある程度パターン化されている場合が殆どです。だからこそ、年長者や、役職者等、知識・経験のある人間が軽々しく、無責任に「兎に角、頑張れ!」みたいな発言をするのは違うと思います。

ところが、「受験勉強」は、まずもって「求められる成果」が明確ではありません(後で詳細書きます)。「期限」は確かにあるけど、1~2年、回り道しても普通だし、なんとなれば、社会人になって十数年以上経ってから「学びなおす」ことも、選択肢としてあって良い話なんです。方法論も、得意不得意や、勉強方法等が、多種多様にあって、例えばAさんが実践した勉強方法が、必ずしもBさんにとって「有益」だとは限りません。

でも、だからこそ、受験勉強は、一所懸命に、頑張って欲しい!!

受験勉強に疲れると、良くこんな発言をしませんか(聞きませんか)?

「数学なんて、社会に出てから役に立たないし。電卓もあるし、PCもあるし。」

「日本史なんて、日常生活で出てくる???」

解る!良く解る!!私もそう思ってた!!!

でも、今は違います。心の底から「あぁ、勉強頑張っておいて良かった。」と。

「暗記」は、やっぱり記憶力というか「自分にあった記憶方法」を見出すのに必要だったし、「記憶」は日常生活にも仕事にも必要不可欠です。

「数学の公式」は社会にでてから一切使わないけど、数学的思考力は「論理だてて物事を説明する」のに必要不可欠です。どの公式をどの問題の解法に用いるのかを見抜くのは、仕事の上の課題をどの手法で解決するのかを判断することに似ています。

大化の改新」も、その事象が「何年に起こって」とか、「誰が誰を」みたいな話も全く語り合うことは無いけど、長い時間をかけて、同じようなことが繰り返されていることが俯瞰できると、今、自分の周りで起こっていることの「次」についての、予測と言うか予想と言うか、そんな事が考えられるようになります。

そう、受験勉強の「極狭義の」最終目的は「志望校合格」だと思いますが、本当の意義は、その先長く生きていく中で、絶対に必要になる「ものの考え方」「考える力(基礎力)」を身に着け、養うことなのです。これ、受験が終わって、ズーっと後になってから気付くことだと思います。

だから、受験生、今は、一所懸命、頑張れ!!

 

さて、受験勉強を頑張った「成果」の話。

「求められる成果が明確ではない」と書きました。

行きたい学校への合格を勝ち取るために頑張る。第一志望が最良の成果です!

はい。尊い!素晴らしい!!

勿論それで良いのです。

 

でも、頭の片隅で良いので、覚えておいてください。

「〇〇大学に行ったら、生涯安泰」

「◇◇大学に行ったら、人生詰む」

そんな話は、絶~~~対に無いからね。

入試合否は、一定期間の「頑張り」の結果に過ぎません。

そんなもんで人生が決まってたまるか!

進学先で「どれだけ多くの事を学ぶか(勉強だけじゃないよ!)」、

学んだことを、「どれだけ人生に活かすか」、こそが大事なんです。

それは、一生懸命に生きている中で、実感するものです。

そして、上述してますが、学びなおしは何時でも挑戦できるのです。

 

受験勉強は、「Goal」も無い。「期限」も無い。「方法」も画一では無い。

もう一回、書いておきます。

だから、受験生、今は、一所懸命、頑張れ!!