3回目の職場。大分大きな総合大学です。でも、大きい分、かなり動きの鈍い感じが漂いまくっていました。ただ、やはり「アカデミア」としての荘厳な雰囲気は醸し出されていて、学生も超優秀で、先生方も「良い研究が良い教育につながる」を地で行くような、いわゆる「学者」「研究者」気質の方々ばかりです。「やっぱ、大学ってこうだよなぁ・・・」と感動すら覚えました。
そんな中、いろいろと大きな研究プロジェクトなんかにも参加させてもらいながら、前の大学では経験できなかった分野に携わることができ、充実した毎日を過ごしていました。加えて、新しい職場への通勤経路に実家があるという状況を確保できたので、仕事のついでに実家に顔を出すということも実現でき、母の介護に携わる機会も十分に確保できていました(と思っていました)。
8年目くらいかな?役職もあがり、仕事も忙しくなり始めたころに、父の認知症・徘徊が始まりました。その対応に追われることになるのですが、ここでも職場が変わったことは非常にありがたかった、対応に功を奏していたのです。ただ、それだけに、自分が思う以上に「無理」をしてしまっていました。父の徘徊の頻度があがり、母も含め、介護・対応に追われる時間が増大し、その2年後になると思います「パニック発作」を発症するに至り、その1年後に「抑うつ状態」まで事態を悪化させました。
実は、この時点、「抑うつ状態」の診断書が出された段階、すなわち2回目の病気休暇に入らざるを得なくなった時点で、3回目の転職活動を開始しました。この時は、「仕事が原因」と思い込んでいたので、「もうここには居られない!」と考えたのです。
しかし、50間際ということもあり、なかなか思うように事は進みません。自分自身も2回も病気休暇を取る羽目になったため、自分に自信を持つことが出来なかったというのも転職活動が進捗しない要因だったと思います。
そうこうしている間に、コロナ禍が到来し、両親が相次いで他界しました。先にも書きましたが、両親が他界し、その相続手続きを終えたところで、気持ち的にも、身体的にも、もの凄く「楽」になりました。
今も、転職活動は継続させていますが、少し取り組み方を変えています。
・転職サイトに登録し、より積極的に情報収集を行うようになった。
・正規採用に拘らないことにした。
・軽い副業(もどき)を始めて見た。
・投資を始めてみた。
・終活(ブログ含む)を始めた。
その上で、現況はどちらかというと「転職」はサブ的に考えるようになっています。
ただ、今の仕事は「60迄」と家族にも告げ、基本的には60以降は年金生活に入ると宣言しています。それまでに、副業や投資で、どれくらい生活費を補填できるようになっているのか、皆目見当もつきませんが、自発的に「お尻」を確定したことで、自身の行動指針が明確になり、大分晴れやかな気持ちで本業にも取り組めています。
【おまけ】
ここにきて、大分「~しなくっちゃ」「~でなければ」という考え方をしなくなった。この考え方って、「視野を狭めてたんだなぁ・・・」と猛省している。
「~してみたいなぁ」「~したらどうなんだろ」くらいの感じでやってみて、「駄目なら次々~」で、全然問題無いんだよねぇ・・・。