新しい職場は、変な勢いで飛び込んだ割には、もの凄く楽しかったのです。
「大学職員」は、教員よりももっとフラットに、フランクに学生と接することができ、教員と学生がより解りやすく、快適に学べる環境や仕組みを整えていくことができる、とてもやりがいのある、面白い仕事だったのです。加えて、1回目の転職で入ったこの大学では、職員も課外活動に関与することができたので、私はバレーボール部のコーチとして、指導(というか、一緒に活動させてもらっていたというのが正しい)をさせてもらうこともできたのです。楽しく仕事ができた上に、ありがたいことに仕事の成果も評価してもらえ、たくさんの経験も積ませてもらうことができました。
居心地も良かったし、この職場でのキャリアパスも、ある程度イメージできるようになっていたのですが、40を前にして、母が「要介護」状態になりました。この時の職場は、実家からは少し離れていたので、仕事の前後に実家に向かうのも難しかったため、転職を考え始めるようになりました。また、本当に楽しく仕事ができていましたし、待遇にも不満は無かったのですが、転職を考え始めたタイミングと同じ頃に、なんとなくですが「やりつくした感」も覚え始めていました。本当にやりがいのある仕事だと感じていたので、「もっと学びたい!」という思いもムクムクと湧き上がっていて、もっと規模の大きい大学で、違う大学職員像を見てみたいという欲求がたかまっていたのも事実です。
そんな折、ちょうど40になる前の年に、今の職場の求人を目にして「最後のチャンスかな?」と、駄目元で応募してみたところ、なんとか一次選考をパスして、最終の面接選考に進むことになりました。ところが、最終面接当日、39度を超える発熱を起こしてしまったのです。折角のチャンスだったので、フラフラになりながら面接会場まで出向き、なんとか面接を終えることができましたが、何を聞かれて何をしゃべったのか、全く記憶にありませんでした。合格するなんてことは全く考えていなかったのですが、なんと、後日合格通知が届いたのです。当然、うれしかったのですが、逆に、どことなく寂しいような思いがあり、その時点になって、改めて「転職」を考え直すことになってしまいました。さんざん悩んだ挙句、合格通知を受け取った時の「うれしい」という気持ちを信じてみようと思い、2回目の転職を決心しました。
1回目と違い、今回は周りにいろんな事情を話していなかったので、あらゆる方面から引き留められました。これは本当にありがたかったし、その分本当に辛かった。ただ、一番お世話になった本部長からは、「本当に残念で仕方ないけれど、あなたの人生だから仕方ないね。悔いの無いように頑張ってください。」と声をかけていただき、その時は、泣いてしまいました。
こうして、15年ほど勤めた2回目の職場を離れ、2回目の転職を成し遂げ、3回目の就職を迎えることとなりました。
【おまけ】
最初の職場の偉いさんが、年頭挨拶でこんなことを言っていました。
「これからの人生、就職3回が当たり前になります。」
そのお言葉通りになっている自分が笑えてしまいます。