術後の経過も順調で、無事退院となりました。のに、退院に当たっての主治医からの説明。「決して油断しないで下さい。膵臓癌は、ここからが大変なんです。定期的な検査は、必ず受けてください。何かあったらすぐに来てください。転移再発の可能性が極めて高いですから、十分ご注意ください。」
ご心配痛み入ります。ただ、退院当日位、フワっと送り出してくれても良いんじゃないの?さっきまで満面の笑みだった父の顔が一気に強張りました。
帰り道、母が「何か美味しいもの食べような。」と言うので、父が「何が食べたいんだい?」と聞くと、母は「せやなぁ・・・素麺やな!」と。ちょっと予想外の答えだったのですが、よく考えると、退院してすぐにそんなに重いものが食べられるはずもなく、むしろ納得の答えだということに周りも気づき、帰って、素麺を食べることになりました。
麵つゆと素麺を買って帰り、きざみ葱とおろし生姜を添えただけの素麺を作って差し出すと、嬉しそうにツルツルと食べました。笑いながら、頬張りながら、うっすら涙を浮かべて「美味しいわ~、ほんまに美味しいわ~」という母を見ながら、「よかったなぁ、好きなだけ食べたらいいよ・・・」という父。いつもなら、出された料理にはいの一番に手を出す父が、この時ばかりは一口も食べずに、母が食べ終わるのを、嬉しそうに見ていました。
これで、少しは落ち着くのかな・・・と思ったものです。
ここら辺、少し時系列が曖昧ですが、余命宣言としは、迎えられるはずの無い翌年のお正月を無事に、父母がそろって迎えて、しばらくしてからだと思います。夜、携帯電話に母から電話が入りました。「どうした!?具合悪いのか??」いつもはほとんど私からかけばかりだったので、「何かあったのか?」とびっくりして電話に出たことを覚えています。「ちゃうねん。お父さんが、帰ってこないねん・・・」と母。「は?どういうこと??」
聞くと、夕方、買い物に出かけた父が、そのまま帰ってこないとのこと。電話が20時過ぎだったので、4時間前後帰ってきていないことになります。連絡をもらって、実家に付いたのが21時前後。まだ帰ってきていない様子。「どこまで行ったの?」と聞きますが、母は「わからへん。」と、「ほんま、かなんわぁ・・・堪忍なぁ・・・」と謝ります。
兎に角、警察に相談してみようと110番に電話をしてみました。直ぐにお巡りさんがやってきて、これまでの経緯や、父の特徴を聞き取り、写真を受け取って、一旦帰っていきました。
1時間程度で電話がかかってきて「近隣では見当たらないので、広域捜索に切り替えます。手続きが必要ですので○○署までお越しいただけますか。」とのこと。指定された警察署で手続きを終えて、実家に戻ると、母が「警察から電話があってん。」と。若干疑わしいなぁ・・・と思いながら、さっきの警察署へ電話すると、「お父さん、見つかりました。△△病院に搬送されています。」との説明。「ホンマやったわ。ごめん。」と母に伝えて、そのまま迎えに行きます。
救急処置室で、擦り傷等の治療を終えていた父が、うつろな目をして「おぉ、すまんなぁ・・・」と力なく謝ります。
父曰く、買い物にいった帰り道、曲がるべき道が解らなくなって歩き続けていたら、どこにいるのかが全く分からなくなった。座り込んでいるところを、知らない人に助けてもらって、ここに来た。らしい。「これが世に言う徘徊ってやつか・・・」と思いながら、落ち込む父をなだめつつ、実家に帰りました。
明け方だったので、私も少し仮眠をとって、母に「また来るわ。」と告げてから、自宅へ帰ります。「認知症検査、受けさせないと・・・」と足取りも、気も重い帰り道でした。