しょっぱな、ちょっと話がそれます。
入院してしばらくたち、母の食事がやっと3分がゆにになった時のこと。久々に固形物(とはいえ、ほぼ水分)を口にできたことが余程嬉しかったのか、スプーンでおかゆを口に運ぶのですが、利き手ではない左手では、なかなかうまく食べられない様子。イライラしたのかな?スプーンをおいてカップを掴んで、そのまま水を飲むかのごとくに、ゴクゴク吞み込もうとするではありませんか。結果は、当然ですが、簡単に喉を通るはずもなく、むせて全部吐き出してました。残念そうに「いや~・・・」と苦笑いしている母を見て、「大丈夫だ。」と安心したものです。
さて、本題。
固形物を口にするようになったころから、リハビリも始まりました。看護師・理学療法士がついての右手・右足の運動がメインです。家族は、「兎に角話しかけてください。」の指示を受けて、毎日誰かが話をしに病室を訪ねていました。私も、土日を入れて週3~4日は面会に行っていたと思います。
「手足のリハビリは、かなりきついはずです。」と先生方は仰っていましたが、当の本人(母)は愚痴一つ言わず、取り組んでいましたので、家族は実感が湧きません。ただ、リハビリから戻ってくると「はぁ・・・」とため息をつき、しばらくは笑顔で何かを伝えようとするのですが、なかなか言葉にならないのと、リハビリの疲れもあってか、「んんん・・・」と寂しそうな顔をして、寝てしまっていました。身体の痛みや疲れよりも、お話し好きの母にしてみれば、滅多に会えない兄や姉、孫達が頻繁に来てくれるのに、思うようにお話しができないことが、一番辛かったのだろうと思います。
母の努力もあって、右手が最も早く動き始めました。「以前の様に・・・」とはいきませんが、少しずつ動かせるようになりました。言葉も、順調に戻ってはいましたが、一方で「記憶が定着しない」症状が顕在化してきて、長い話が難しくなっていくようでした。話が進むにつれ、何を話していたかが自分自身で分からなくなっている様子。その当時は、よく「もう!ええわ・・・」と悔しそうにしてました。最も回復が見られなかったのが、右足。結局最後まで補助(杖や手すり)無しでは、歩くことはできませんでした。
【おまけ】
「もうええわ」という母への対応が、人それぞれで面白かった話。
父:なんだ?あれか?これか?と一緒に結末を探そうとします。
兄:ええんかいな?はっはっは。とそれ以上は聞きません。
私:~というところまで話してたけど?と水を向けます。
Aさん:思いだし!あきらめんと、ちゃんと最後まで話して!
母は、父とAさんの対応がしんどいと言っていました。
「お兄ちゃんが一番楽」だそうです。
「あんたもええねんけどな・・・」と気を遣わせてしまいました。
ごめんね。