個性の話 ~はじめに
書き始めのところで「多様性の話」としていたと思います。どこかで「多様性」ではなくて「個性=個の尊重」で良いのでは?と書きました。書きたいことは、多分「個の尊重」なので、「個性の話」として書きたいと思います。ただ、時代に迎合することも必要なのかなぁ?とかも思うので、ちょいちょい「多様性」という言葉を使うかも。
思えば、本当に小さい頃(物心ついたころ…になるのかな?)から、身近にいわゆる「障がい者」がいました。社宅のようなところに住んでいたので、必然的に子供同士の交流(そら、同じ敷地の団地に住んでいたら、接点は生じますよね。)もそれなりにありました。その中に3歳くらい年下の男の子がいて、その子が小児麻痺とかで片足が不自由だったのです。自然「面倒見てあげてね。」みたいな感じになっていて、よく一緒に遊んでいた記憶があります。勿論そのころ、「障がい」とか「小児麻痺」等の言葉の意味は全く理解も意識もしていなかったので、普通に「弟分」的に接していたのだろうと思います。私的には「慕ってくれていた。」と記憶しています。よくその子のお母さんからもお礼を言われて、お菓子とかも貰っていたように記憶しているので…。
中学に入ると、同じクラスに難聴の生徒が4~5人いました。私の入った中学は「養護学級(だったと思う)」があって、そのクラスに入ったのだと思います。加えて、その頃に出会った他クラスの生徒に、片足が不自由な「ヤツ」がいて、なにかのキッカケで遊ぶようになったのですが、そいつは、友人の少ない私にとって、今なお交流が続く稀有な「大親友」です。
高校は、私学の男子校に行くことになりました。新入生健康診断の時だったと思いますが、検査を終えて会場の外の出ると、同じクラスの男子(ま、男子しかいないのですが…)2人に待ち伏せされて、「僕たち、あなたが一番かっこいいと話してたの。」的なことを言われて、「あ、あ、ありがとう。」みたいになったことがありました。バレンタインデーに「学校の下駄箱にチョコとラブレター」と言うベタな恋愛漫画みたいな状況を経験したのも高校生の時でした。
何が言いたいかと言うと、小さい頃から、ズーっと身近に「多様性」として語られる方々が身の回りに居て、なんだろう「私がどうこう」ではなくて、「その人たち」がそれぞれに「前向きに」、う~ん…語弊があるのかもしれないけど、「いたって普通に」周りと接していたので、そのことに慣れていることもあって、殊更に、声高に「多様性」が語られることに「物凄く違和感を感じている。」ということです。
一方、母が脳梗塞で半身不随になり、父が認知症になり、自分自身が精神を病むことになったという経過の中で、「健常者とは?」という疑問が大きくなってきました。
「個性の話」としては、ここら辺を書いていこうと思っています。なかなかうまく書けないかもしれませんが、ご容赦ください。